12月 08

事業仕分けに怒りあらわ 音楽関連5団体が緊急アピールですか。

行政刷新会議の「事業仕分け」で、文化予算を大幅に縮減するとの判定に対し、日本オーケストラ連盟など音楽関連5団体が7日都内で、緊急アピールの記者会見を開き、民主党へ要望書を提出した。

会見にはピアニストの中村紘子さん、指揮者の外山雄三さん、新国立劇場次期芸術監督の尾高忠明さん、作曲家の三枝成彰さんら8人が出席。特に、学校にオーケストラや劇団など芸術家を派遣する事業を「国の事業として行わない」とされたことへの反発が大きかった。

関西フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者の藤岡幸夫さんは、「国が子どものためだけに事業をすることは必然性に欠ける」という評価コメントに対して怒りをあらわにし、ホールがない地域の子どもたちに生演奏を聞かせる活動の意義を訴えた。「情操教育を国がやらずして誰がやるのか。地方にももう財源はない」と藤岡さん。三枝さんは「日本より人口の少ないフランスがあんなに大きくみえるのは、文化を重んじ、予算を投じているから」と述べた。

要望書では、文化庁の総予算が国家予算の0.12%と、欧州やアジア諸国に比べても著しく低いことを挙げ、文化政策を統括的に扱う「文化省」の設立を求めている。

また、この日、NPO法人国際舞台芸術交流センターが都内でフォーラムを開いた。「縮減」と判定された国際交流事業の助成を受けた芸術家が、体験を踏まえ事業の意義を訴えた。

という話だが…。

私は文化芸術に対して、政府が補助を行うという事そのものに反対。

ルネサンス期のメディチ家のような強力なパトロンに支えられてきたという例はあるものの、基本的に私は、芸術というものはそれを実際に愛でる人々によって支えられるのが本筋であると思っている。
演劇なら観衆であり、音楽なら聴衆。文学なら読者であったり、絵画であれば展覧会に足を運んだり絵を買ってくれる人々。
芸術家というのは、時に世間に対する皮肉に満ちていたり、時に反体制的であったりするもの。だからこそ、それに協調する人々に支えてもらうのでなければ、自由な表現が妨げられてしまう。
断じて、体制側に向かって補助してくれなどと言う人間は、芸術家ではない。

実際のところ、芸術家というものの本質は、芸能人と同じである。
本人たちは、自分は高尚なことをやっていて、そういう人間とは違うのだという意識を持っているのかもしれないが。構造的には、多くの人に支持してもらって、初めて成り立つというのに変わりはない。
高尚なものかどうかというのは、受け取り手が判断すべきものであって、発信者が決めるべき事柄ではない。

芸能人と呼ばれるような人たちは、毎年何百何千とデビューして、生き残れるのは氷山の一角。ほとんどの人は、それだけでは食えずにアルバイトなどでしのいでいる。芸術家と呼ばれる人間だけが優遇されるいわれはない。

だいたい、助成金を貰わなければ活動できないオーケストラなど、最初から需要が無かっただけではないのか?
逆に言えば今までは、本人たちだけでは客も呼べないような三流のオーケストラが、助成金のおかげで存続できてきただけの話だ。
そんなものは最初から存在すべきではなかったのだ。

「情操教育を国がやらずして誰がやるのか。」

決まっている。親がやるべきことだ。
もし、親たちが子供の情操教育にどうしても必要だと思うのなら、国が金を出さなくてもコンサートホールはいっぱいになるはずだ。
多くの人が口では必要なことだといいながら、自ら金を払ってまでは行こうとしない。それは実際には、だれも本気でそんな事を思っていないからだ。あくまで建前の発言に過ぎないのである。
そもそも、「教育」に芸術が関与すべしというのもどうかと思う。そんなものは逃げに過ぎないのではないのか?
たとえ情操教育に必要なくとも、演奏そのものに魅力があれば、人は集まるはずだ。それがどうやっても集まらない。もちろん魅力が無いからだが、それでは活動できない。
だから「教育」なんて言葉を持ち出して、各地の学校を廻って実績を作り、助成金を貰う口実にしているだけではないのか?

本来なら学校めぐりなどというのは、オーケストラにとっては、未来の観客を獲得すべき宣伝活動。自分たちのやっていることがいかに魅力的なものかを伝え、いずれはコンサートに足を運んでもらうことが目的のはず。
だから、本人たちが身銭を切ってやるべきことなのである。
それを助成金などを貰ってやっていては、(それ自体が黒字になるのだから)魅力を伝えていこうという内容にはならない。その場限りの一過性のものになってしまう。聞かされる子供たちには退屈な時間でしかない。いい迷惑である。
だから聞かされたほうも、大人になってからも、自主的に聴きに行こうとは思わないようになる。

つまり、「振興」のための助成金というのは、あるべき自助努力を怠惰に押しやって、その対象の競争力を失わせていくだけ。結果として袋小路に追いやられたものたちは、没落していくしかないのである。

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